4月7日深夜の地震。
大きな揺れに3.11の恐怖が蘇った。
揺れ方は違えども大きさは匹敵…もしくは強かったようにすら感じた。
M7.1との発表が信じられないぐらい…。
実際、我が家は前回よりも多くの物が散乱。
壊れた食器も多数だ

壁紙にも多くの隙間(というか亀裂?)ができた。
壁紙だけでなくその内部自体も怪しい感じで…詳しく把握するのが怖い。
次に大きな余震が来たらもたないのでは?我が家

ガラス一枚も大きな亀裂が走り、砕け散りこそしなかったが完全に隙間ができた。
はめ込みガラスの部分なので外すに外せず、
でもこのままでは雨が吹き込んできそうなので、
ガムテープと水を吸収しそうなペットシーツを貼って応急処置だ(苦笑)
揺れの途中で停電してしまったし、夫はまた帰宅できなくなったので、
断水に備えて水だけ汲んだ後、1時間程、車の中に避難していた。
が、ご近所も静かだったので家に入ったが怖くて眠れない。
リビングでシュラフに包まったが、明るくなるまで寝付けなかった。
…不気味に静かな夜だった。
新聞配達のバイクが来た音がして、それからしばらくたった頃、
ご近所さんが動き出した音や声がかすかに聞こえ始め…
ちょっぴり安心してウトウト…
携帯の呼び出し音で目が覚めた。いつの間にか8時だ。
電話は上司からで、会社は停電しておらず出荷できたそうだ。
安否と今日の勤務の確認だった。
台所の割れた食器と玄関付近だけ片付け出社した。
停電で信号がついていないので、利府街道へ出るのが怖かった。
通勤のためにはさらに45号線も越えて行くのだが、そちらは信号がついていてホッとした。
会社もようやく少しずつ生産を増やしていた所だったのに、
今朝はまた最低限の出荷だけになってしまったようだった。
明日以降の分についても相手先が停電していたりするので、
状況を把握した上で生産しなければならず…連絡を取るのに大混乱…
目が回るほど忙しかった

帰り道も45号線以外はまだ停電中で渋滞する中、神経を使う運転でさらにぐったり。
帰宅するまでに停電が解消しているのではという期待はあっさり夢に消え、
夕飯の支度をしているうちに暗くなってしまった。
今回は、水とガスは止まらなかったのがせめてもの救いだ。
夫が震災以降、初めて皆との夕飯に間に合う時間に帰宅した。
家の被害が前回より酷いとメールしてあったので、心配して早く帰ってきたのかも。
暗い中で見て回り、思ったよりは大丈夫だったと言っていたが、
そんなに煽るメールはしてないし、淡々と書いただけだ。
どんな想像してたんだか

暗いと何もすることがない。
24時間たっても停電は解消しないので早寝だ。
我が家のライフラインは、4/2にガスが復旧したのが最後で…
その日にお風呂に入り、やっとパジャマに着替えて寝るようになった所だったのだが、
また怖いので、いつでも逃げられるように服を着て寝た。
4/9、起きたら電気が来ていた

諦めて寝ている間に解消したようだ。
母の話では早朝4時頃トイレに起きた時にはもうついていたらしい。
良かった。暗いとやはり不安だし、ニュースが見れないと取り残されているようで心配だ。
震災以来、毎日、新聞を隅々まで読んでいるが、即効性ではTVニュースには敵わないもの。
昨日は仕事での疲れもあって進まなかった片付けだったが、
今日はガッカリ感に支配されてしまって何も手をつける気になれなかった。
二階は物が落ちて散乱したままだ。
前回は電気がつき掃除機が使えるようになったのと同時に着手したのだけれど…
また同じ事を一から…と思うとホント心が折れそうだよ。
私は、家族も家も失くしてはいないから…と言い聞かせて、
不自由だったこの一ヶ月近く、我慢して少しでも前に…と思って過ごしてきたのに、
それを嘲笑うかのように崩されて…がっかりしてしまう。
それに、M8クラスの余震が起こる可能性もゼロではないそうだし…
投げやりになってはいけないけれど…ちょっと疲れた…。

ワンコたちがずっと通っていた動物病院も場所的にたぶん津波の被害に合ったハズ。
獣医さんや看護士さんは無事だったのだろうか…。電話は通じない。