2011年08月31日

てぬきごはん 8/18-20

お友達のSちゃんwを真似て…
ご飯の写真を撮ってみたら意外に面白いグッド(上向き矢印)

メニューに困った時のヒントにもなりそう。
ってんで、これが続いてるんだわ、結構。

たまってきたし…
せっかくだから、新しいカテゴリー作ってUPしちゃうるんるん
(ちょっと遡るけどね。)

でも、元祖のSちゃんは更新ストップしてるなぁ。
(と、軽くプレッシャーかけたりして…爆)



8/18(木)

ダンナが今日から出張で留守なため…
超がつく手抜きご飯週間(?)スタートw


そば飯、あさりの酒蒸し、お煮しめ(残り物)
さつま揚げ(焼いただけ)、卯の花(市販品)



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そば飯は、一時ブームになって以来、たまーに思い出して作る。
(焼そばに飽きた時?w)

でも、今回のは過去最高の出来ぴかぴか(新しい)

玉ねぎを粗みじん切りに入れたのが良かったのかもるんるん
(こんな雰囲気かな?と適当レシピだからね。)

卯の花は、他の家族は食べないので、
食べたいな、って思った時は出来合いので済ませちゃう。
どうしても、少しだけって作れなくて…無駄にしちゃうから。(言い訳?w)



8/19(金)

娘2と仕事終わりの夕方から買い物しつつ外ご飯。

マンマパスタにて…

完熟トマトとモッツアレラチーズのパスタ、シーザーサラダ



1518.JPG

1519.JPG



晩ご飯の用意をしなくてもいいって素敵w

夕方でも時間を気にせず出かけられるって、あー素敵ww



でも、この時はあまりお腹が空いてなくて…軽くだったので、
夜中になってから反動が…たらーっ(汗)

あー、いかん、いかん、真夜中のカップラなんてバッド(下向き矢印)



8/20(土)


お好み焼、ウインナー、イカげそ、冬瓜と油揚げの煮物
サーモンの刺身
 (イカは写真なし)



1520.JPG

1521.JPG



なんちゅー、めちゃくちゃなメニューでせうw

ホットプレートの空きスペースがもったいなかったので、
冷蔵庫、冷凍庫をゴソゴソやった結果…こんなんなりましたってカンジ。

サーモンのお刺身は、母が突然買ってきた。

にしても…この色のお皿に盛るから…
全然、美味しそうに見えないじゃんバッド(下向き矢印)

そりゃ、大したお皿もないけどさ、
地震でいっぱい壊れたからダイ○ー皿流行りの我が家だけどさ、
もうちょっと盛り付けとか考えても良くないか?母よたらーっ(汗)

冬瓜も母が突然もらって来たモノ。

料理した事がないので適当に油揚げと煮てみたが、旨ーっるんるん
我ながら上出来と自画自賛w



posted by みみまま at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | うちのごはん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月29日

ただいまー!

お散歩から帰ったら、
足をフキフキしないと…お家には入れない。



ばーちゃん、早く拭いてーっexclamation


1514.JPG




そう言いながら(たぶんw)
ちゃーんと待ってる後姿…カワイすぐる揺れるハート



posted by みみまま at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | レン&ラビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月27日

あの日のコト。8

金曜はね、比較的暇なハズなのよ、通常は。

なのにSさんと組むと…どうして次々問題発生するかなぁたらーっ(汗)

彼女は、嵐…ならぬ仕事を呼ぶ女。
バカみたいに忙しかったしバッド(下向き矢印)

土曜も電話が少ないから楽な日のハズなんだけど…
明日もまたSさんと一緒。

二日続けては勘弁してよーexclamation&question





3/25(15日目)

ついに職場から出勤して欲しいコール。

20日までは自宅待機となっていた。
が、その後、本格稼動は無理な状況でも、
出れる人間が出勤して少しずつ…稼動していたのだ。

でも、私はまだ出れないと休んでいたのだが…
(課では一番遠くからの通勤なので)
いよいよ、やりくりがつかなくなったらしい。

来て欲しいと言われるのは有難い事だし、
いつまでも休んでもいられないので明日から出勤…となった。
(水も会社で汲んで帰れば良いから…と言われw)

しかし、1週間前にシャワーしたっきり。
家にいるならいいけど、会社に行くならせめて髪ぐらい洗って行きたい…
(顔はマスクで隠せばいいけどw)

貴重な水…また小学校へ汲みに行き、
あらゆる手段でお湯を沸かし溜めて…根性でシャンプーした(爆)


3/26(16日目)

震災以来初めて仕事へ行く。
同じ課で、まだふたりは津波被害のため復帰出来ずにいた。
他の部署でも津波で大変な被害を受けた方など大勢いるようだった。
が、社内で犠牲になった人間は幸いな事にいなかった。
(ご家族を亡くされてしまった方は何人かいるそうだが…)

あの日…出勤していた人たち数名は、帰宅出来ず朝まで会社にいたそうだ。
私も休みでなかったら会社に泊まる事になっただろう。
夫も家にいない…娘たちと母だけ…どうなっていただろう…。
申し訳ないが…改めて休みだった事に感謝した。

この時、どんな仕事をして帰って来たのか、記憶にないが(話は覚えてるのにw)
とにかくお互いの無事を確認しあい、水を汲ませてもらって帰宅した。

娘たちに聞いてはいたが、道路があちこちボコボコで酷かった。
いつもの通勤路も通行止め箇所があって迂回して行った。
(その一部は、未だ…5ヵ月半たっても…車両通行止めのままだ。)


帰宅したら、玄関に大量の水が置いてあった。
義弟が届けてくれたそうだ。お菓子などの差し入れと一緒に。感謝。


3/27(17日目)

本日も仕事。


3/28(18日目)

仕事は休み。
お風呂に入りたい…そろそろ我慢も限界。

娘1の車のガソリンがあるうちに…と秋保へ行く。
途中、渋滞している先にあったのは常にガソリンスタンド。
まだまだ並ばずには給油できないのだ。

秋保温泉は、思った程混んではいなかった。
(まぁ、沢山あるからね、宿が。)


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HPを色々確認したら、
シャワーが使えないなど制限のある宿もあったので、それを避けてここにした。

久しぶりのお風呂…まさに生き返った気分。
湯当たりするぐらい(娘はマジでw)のんびり入浴してきた。


帰路、開いていたファミレスで久しぶりに外食。


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限定メニューでの営業だったが、すごく賑わっていた。


夕方6時過ぎ…長い断水からついに解放された。
水は重いので…汲むのが本当に大変だった。
(男手があればまた違うのかもしれないが…)

戸建ての我が家でさえ、そうだから、
これがマンションなどだったら…もっと大変だろう。
(お年寄りだけの世帯は?)


3/29(19日目)

仕事。


3/30(20日目)

休み。
とりあえず、お風呂にも入れて、水も出るようになったら、
今度は、ボサボサな頭が気になり…カットに行く。

帰りに、そばのスーパーで買い物。
並んだり、個数の制限もなく(一部除く)買い物が出来た。
と言っても、棚はかなり空きスペースが目立っていたが…。


娘2の車のガソリンがついに底をつく。
1時間半並んでの給油。一時に比べればこれでもマシな方だった。


3/31(21日目)

夫が震災以来初めて休めた。

当初、何日かおきに夜中に帰宅、早朝出勤…
と、寝るためにだけ戻って来ていたが…
ガソリンがなくて、最近は帰れないでいた。
(給油に並ぶ暇もなかった。)

地震が起きたのが金曜日だったから、
その前の日曜、3/6に休んで以来…だもの。
本当に大変だったと思う。
ゆっくりお風呂に浸かって休んで…と言えないのが気の毒だ。


4/1(22日目)

やや離れた場所にあるスーパーへ買出し。
(商品が多い事を聞いて。)

途中、開いてるココを発見!
思わず吸い込まれる(爆)



1516.JPG



こちらもメニューを限定しての営業だった。


久々のバーガーとポテト…
こんなに旨かったっけ?!w


何だか涙が出そう。

当たり前と思っていた事…そうじゃなかった…。

でも、元に戻ろうって、少しずつだけど…みんな頑張ってる。
必死に生活している。今を生きてる。


4/2(23日目)

ついにガス復旧!
長かった。これですべてのライフラインが戻った。

お風呂に入って…
震災以来始めてパジャマに着替えて休んだ。


もし、宮城県沖地震が来たら、

電気は、1〜2日、水道は、4〜5日(長くても一週間?)
ガスは、半月ぐらい?

などと、前に話をしてた事があったが、
実際、今回は、そんなレベルではなかった。

特に18日間の断水が一番きつかったけど、
津波被害の酷かった地域では、未だ…の所もあるんだよね。



4/3(24日目)

義母を迎えに行き、お風呂に入ってもらう。
宮城野区で中心部に近い実家は、
断水はなく、電気も早くに復旧したが、
ガスは最後の最後…らしく(地区の外側から復旧だそうだ。)
未だガスが出ていなかったのだ。(結局、この後一週間近くダメだった。)

送り届けて家に戻る途中、
私の車のガソリンもさすがになくなり給油。

が、行列は短かく、5分程の待ち時間で済んだ。
やっと普通に戻ってきた…と感じた。



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初めは、あの日の当日の事だけを書くつもりだったのに、
何だかすっかり長く書いてしまった(汗)

ノートに走り書きしてはいたけど、
その後、読み返してみる気にはなれずにいた。

でも、この機会にノートを開いて…ココに書けてヨカッタかな。
今また改めて思う所もあったり…ね。




posted by みみまま at 01:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月26日

あの日のコト。7

通勤で通る会社近くの裏通り。
日に日に視界が開けて行く。

全壊で取り壊しになってしまった家やアパート。
やっと順番が回って来たのだ。

車でわーっと通り過ぎるだけだと気づかないけど、
昨日は建物があったハズの場所…今日通ると更地になっていて驚く。

震災から5ヶ月半たった今もまだ現在進行形…なのだ。


我が家の補修の見積もりもやっと明日届く。
見積もりだけで、何ヶ月待ったコトやらあせあせ(飛び散る汗)

そして、一体幾ら掛かるのやらたらーっ(汗)





3/15(5日目)

TVやツイッター情報などで買い物のために、
寒い中何時間も並ぶ必要がある事は分かっていた。

うちは、灯油の残量は心細いが、食料は節約すれば、まだまだイケル。
当初、一週間…と思ったけど、今の状況ではどこまでなのか見当もつかない。

ここは、無理して動くより体力温存。
頑張れる所まで節約して乗り切ろうと決めた。
うちだけでも買い物に行かなければ、
その分少しだが、もっと困っている人に回るだろうし。


生協の配達直後だったのは、本当にラッキーだった。
ガソリンも娘1のは、ほぼ満タン。
私と娘2の車も給油後日が浅く、3/4は残っていた。


水はさすがに汲みにいかなければならない。
が、給水所では並ぶ必要も制限もある。

実家ならそれがない。顔を見て安心もできる…
片道20分のガソリンを使っても、しばらくはそうしようと決めた。


他にも幸運だったのは、ワンコごはん。
いつもネットで8キロ入りのフードを切れそうになるギリギリで買うのだが、
これが震災の2〜3日前に着いたばかりだった。
同じくトリミングにも行ったばかりだった。


今思う事。
起こったのは最悪の事だったけど、
タイミング的には、一番いいタイミング…助けてもらったのかなぁ…(誰に?w)


3/16(6日目)

午前中、雪が降り寒い。
灯油節約のため電気毛布に包まる。
午後になり雪も止んだので娘たちは実家へ水汲み。


3/17(7日目)

体力温存。家で片付けに励む。
電気が来てから本格的に着手していた片付け。だいぶ進んできた。

ネットが復旧。
嬉しい…が、何故だか…PCの前に長く座っている気分にはなれず。


3/18(8日目)

娘1がまた友人の所へ。
頼んだあった救援物資(紙オムツなど)が入手できたので受け取りに行き、
津波被害に遭って避難所にいる別の友人たちへと届けるのだそうだ。

おにぎりも届けたいというので…
我が家の釜で炊けるだけのご飯をおにぎりにした。

実は、二日前にもおにぎりを握って届けようとしたのだが、
その時は、また津波警報が出てしまって(結局来なかったのだが)
友人から危ないから来ないで、と言われ届けることが出来なかった。

今回は、無事届ける事ができたようで良かった。

一緒に、暖かいみそ汁が飲めるようにとお湯を入れたポットを託した。
ほんの気休め程度の事しか出来ず申し訳ないが…


普段ならほんの20〜30分の距離の場所で、避難している人たち。
津波に襲われた家、いつ戻れるのか…
いや、戻る家自体が残っていないかもしれない。

家族がみな無事ならまだ良いが…
(娘の友人も結局…)


キツイ一週間を過ごして、まだ先もどうなるか分からないが、
私はかなり恵まれている方だ。弱音を吐いては罰が当たる…


3/19(9日目)

朝、夫の叔母から電話があった。

叔母宅も水が出るようになり、ガスはプロパンなので、
昨日、義母にシャワーを使わせてくれたそうだ。

その時に、我が家がまだ断水している事を知ったので、
今日、水を汲みながらシャワーを使うように…と誘ってくれたのだ。

ガスの残量が心配だから…届くまではシャワーだけどね、と。

有難く、言葉に甘え…午後から向かった。
(うちの母も…と言ってくれたが、流石にそれは遠慮した。)

震災以来のシャワー。
身体の方はまだ耐えられたが、頭(髪の毛)が限界だった。
開いている美容院情報を聞いたので、
シャンプーをしてもらいに…並ぶの覚悟で行こうとしていたのだ、実は、今日。

シャンプーばかりか身体も洗えるとは。
思ってもいなかった救いの手にホント感謝。

水ばかりか、灯油も1缶。
さらには、ティッシュまで…もらって帰って来た。


あの日の夜中、繋がった義母の携帯に出た閖上の叔母(この叔母の妹)が
ここに叔父とふたりで避難していた。

買い物に出ていた先で地震に遭った。
そこ(亘理)も津波が来た場所だが…
買い物は済んで車で出ようとした時だったため、急いで海と反対の方へ逃げた。

6号線から4号線バイパスへ出て、自宅の方へ戻ろうしたが、
すでに津波が来ているという事で戻れなかった。
そのまま渋滞するバイパスを走り、
何時間もかかってようやく夫の実家へと辿り着いた。
そして、あの夜の通話…。


その後、家へは行った。
家はあったが、1階の天井まで津波が来ていた。

叔母の物は、すべて下にあったため、着物も宝石も…全部ダメになった。
2階あった叔父の服とたまたま干してあった僅かな着替えだけ取って来た。

何にもなくなってしまった…と涙ぐみながら話す叔母。
化粧もできない、化粧品、買ったばかりだったのにって…。

ふたりが助かっただけ良かったよ…と慰めるのが精一杯だった。


この日の夜、震災以来、初めて2階のベッドで休んだ。
もちろん、服は来たままだったが…。



3/20(10日目)

近所のパン屋さんが開いてる情報入手。
あまり並ばずにパンゲット!
ロングライフパン(プレーンなクロワッサン)は食べてきたが、
久々の焼きたてパンの美味しさに感激w


3/21(11日目)

母が近所のスーパーでやや並んで、野菜と惣菜を少しゲットして来た。
メンチカツと春巻きに肉だんご…お弁当に入ってるような惣菜。

娘2が友人宅で水を汲んできてくれた。


3/22(12日目)

妹の家の断水が解消。
水を汲むのはもちろん、洗濯をさせてもらいに行く。

服は毎日取り替えて…なんてしていなかったが、
さすがにここまで日にちが経つと洗濯物の山。

とりあえず下着類だけでも洗濯できれば助かる。

そして、母は、震災以来お風呂はおろかシャワーも浴びていなかったので、
ガスの復旧はまだだが、何とかお湯を大量に沸かしてもらい洗髪だけでも…と頼んだ。

姪達に手助けしてもらいシャンプー。
ここまで、よく我慢したよね、母も。(さすが戦争経験者w)

その間に、近くのスーパーへ行く。
5分ほど並んで買い物が出来た。大量の野菜が手に入って嬉しい。
お刺身も卵も買えた。(お肉はイマイチだったが…)
震災以来初と言っていいまともな買出し。
ここまである材料をやり繰りして、4人分の食事作り…私も頑張って乗り切ったよw

近所の小学校の方へと犬の散歩で行った娘たちが、
給水に人が並んでいる気配はないと言うので、初めてもらいに行った。

制限も特にないようだったが、
重くて…一度に大量には運べず、結局汲める量が限られる。
妹の所で汲んで来たばかりだから良いけど…


3/23(13日目)

娘2が、今回の地震に遭遇したあのショッピングモールで買い物をして来た。
(カップラーメンやカセットコンロのガス)
行列はなかったようだが、一人当たり買える品数を制限していたそうだ。


3/24(14日目)

灯油の巡回販売車が来てようやく灯油が買えた。
叔母からもらった灯油で凌いできたがこれで一安心。
(しかし、一缶、2,000円近くして…ビックリ。)

小学校へ水を汲みに行く。


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この時、震災以来初めて…そういった写真を撮る事に気がついた。
普段は、何かにつけ写真を撮っている私なのに、すっかり忘れていた。
(ちなみに…毎晩欠かさないアルコールも暫く飲む事すら思いつかなかったのだw)

物も手に入るようになってきて、少し余裕が出たのだろうか…


1508.JPG


彦根市…ひこにゃんで名前は知っているけど滋賀県にあるんだね。
遠くから給水に来てくれてありがとう。

自衛隊のお兄さんたちも…ありがとう。


1509.JPG


娘1が、水と一緒に缶詰1個、もらったよって。
(しかも、たくあんの缶詰って…)

自衛隊のお兄さん…おばちゃんもそっちから汲んだのに…
若い女のコにしかくれないとは(爆)

うちでもらった唯一の救援物資だね。


夜、夫が職場近くのショッピングセンターで買ったと、
大量のカップ麺とお菓子を持って帰って来た。




posted by みみまま at 03:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月25日

あの日のコト。6

どこまで書こうか迷ったけど、
もう少し(?)書いておこうかと…あせあせ(飛び散る汗)




やがて夜が明けて来て…幾らか安堵感が出てきた。
暗いのは、やはり恐怖。
明るいというだけで…随分安心するものだ。

外でバイクの音がした。

新聞配達だった。
いつも通りに配達された事に驚きながら開いた新聞…


そこにあったのは想像を絶する状況だった。


「宮城震度7大津波」の大きな見出しに
見慣れた場所の写真や、聞きなれた地名が躍っている。


ここから、遠いと言っても車を走らせれば、ほんの20〜30分で着く、
良く知っている海を大津波が襲っていたのだ。

子どもの頃から慣れ親しんだ海もあるし、
何かにつけ出かければ通る場所のすぐ側にそれらの海はいつもあった。


そこをあんな大津波が襲うなんて…


これは現実なのだろうか…
信じられない…信じたくない…そんな気持ちだった。


涙が溢れる。


一体どうなってしまったのだろうか…
これからどうなるのだろうか…




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私の住む場所は、震度6弱だったようだが、
津波が届く場所ではないし、
地震の揺れによる被害もそう大きくはなかった。

被害の酷い地域、人命優先。
しかもそれが広範囲に渡って…となれば、
それ以外の場所は当然後回しだ。
(というかもう放置。)

取り残されてしまったような…正直、そんな焦燥感があった。


連絡もなかなかとれない、情報もほとんど入っては来ない。
自ら外へと出て情報収集して動いていかないと…本当に取り残されそうだった。
(それには、やはり近くの他人…隣近所のネットワークが心強かった。)


新聞を見て、電気、水道は一週間は来ないと覚悟しないといけないな…と思った。
ガスは、宮城沖の時も遅かったから…もっとか…?

実際は、電気以外はそんな甘い見通しでは済まなかったのだが…(汗)




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走り書きノートから…


3/12(2日目)

早朝、義弟と姪がやって来た。
繋がらない電話を諦めて直接来たのだ。
(正直、妹の事まで思いつかなかった薄情な姉w…妹も母が心配だったのだろうが。)

小学校で給水をしていると聞いた。
汲置きの水があったから、今すぐどうこうはなかったが、偵察がてら見に行った。
プールの水をろ過しての給水とのこと。
長い長ーい列ができていた。(後で聞いたら、7時間並んだって人が…)

ラジオで、公衆電話が無料で使えるようになったと聞いた。
公衆電話の方が通じるかも…と、近所の電話ボックスへ行き
受話器を上げてみたが無反応。諦める。


最近になって知った話…
一応10円玉を入れるか、非常通話ボタンを押さないといけなかったらしい。
そりゃ、無反応だった訳だ。


3/13(3日目)

近所のスーパーが開いてる事を聞き走る。
店頭で僅かばかりの品物の販売。(野菜などはなし。)少しだけ買い物をする。

娘らが連絡のつかない友人の所へ行くと言うので、
義母宅(実家)へも寄るよう…
また、通り道にある私の会社へも代わりに安否を告げて来るよう頼んだ。

私は、意識がやや怪しい(?)母と
分離不安気味になっているワンコたちを残して家を離れられない。


行ってみたら実家では断水していなかった事が判明。
水をもらって帰って来た。いつ水が来るか怪しいので助かった。

私の職場は停電では仕事にならず、パート社員は当分自宅待機となったそうだ。
会社の商品やら何やら…救援物資wだと言ってもらって帰って来た。ありがたい。


夜遅くに夫が戻ってきた。
泊り込みの人数が多くて寝る場所がないため帰宅したらしい。

20年近くしまい込んであった石油ストーブを出してくれた。
(私も存在は分かっていたが、点く気がしなくて…w)
ようやく我が家に火の気が戻った。


23:00過ぎ…電気が点いた!(56〜57時間ぶり?)
嬉しくて真夜中なのに…ご近所さんと外へ出て喜んだw

明日の朝は、ごはんが食べれる!早速お米を研いだ。
ここまでロングライフパンで凌いでいた。


3/14(4日目)

電気が点いたおかげで調理の幅が広がった。
カセットコンロだとガスの残量の心配だったから。
(先が見えない中では、ちびちび使うしかなかった。)

ホットプレートとこれまた長い事しまい込んでいた電気鍋が大活躍。
お湯はもちろん電気ポットで湧かす。

暖を取る意味も含めて、暖かい飲み物と
空腹もちょっとは満たしてくれるインスタントみそ汁やスープ類が重宝したが、
ここまでは、燃料の心配をしながらお湯を沸かしていた。
これで、心置きなく飲む事が出来る。
(またまた何故か…山ほど買い置きがあったのだw)

未使用の卓上型IHクッキングヒーターもあったのだが、
何という落とし穴!我が家には、使用できる鍋がなかった。ガッカリ。

暖房も石油ファンヒーターはあったが、
昨シーズンからガスに切り替えたため、中身の灯油が少し(1缶強)しかなかった。
そのため使用は夜の2〜3時間だけで我慢。

後は、小さな電気ストーブと電気敷き毛布で寒さを凌いだ。


夜になってから、電気が点いたならコイン精米機も動く?
と、気づき娘2と出かけた。探し回って4軒目で無事精米できた。

普段は、精米されたお米(5キロか10キロ)を都度、買っているのだが、
たまたま、2月の終わり頃、会社の先輩との会話から頼んで買ってもらったのだった。

重いので半分精米して食べていた所で、残りの半分は玄米であった。
これで、お米の心配がなくなった。何もなくても…ごはんだけは食べられる!w


娘1はまた友人宅へ行き、そこで水をもらってきた。




posted by みみまま at 02:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月20日

容赦なし!?

8/19 14:36 福島沖 M6.8

大きく揺れて怖かったぁ(泣)

宮城野区にある職場は、震度4っていうけど、
もっと大きく感じた…音がいつもの震度4より凄かったし。
(いつものって…どんだけ地震慣れしてんだって話だけど…苦笑)

限りなく5弱に近かったと思う…。
(もしくは、4強←勝手に作ってみたw)


しかも…


その最中、なーんと…トイレに入ってたのよ、私たらーっ(汗)


いえ、用は済ませてw立ち上がったトコ(和なもんで)だったけど。

個室の壁を片手で押さえながら、もう片方の手で急いでパ○ツ上げたしあせあせ(飛び散る汗)
まさかそのまま飛び出せないし、かなり焦ったぁ(爆)
(他に誰もいなかったが…一人で悲鳴上げてた。)

そんな場面での地震は止めて欲しいよ、ホントバッド(下向き矢印)



やっぱりまだまだ油断はできないね。辛いけど。





2歳になって大人っぽい表情のラビちゅう写真。



1515.JPG



まったく関係ないけど、カワイイので貼ってみた〜ぴかぴか(新しい)



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2011年08月17日

ショックorz

晩ご飯食べてたら…



歯(の被せ物)が取れたたらーっ(汗)


硬いもの食べてた訳でも
くっつくもの食べてた訳ではない。


トマト食べてただけ…だバッド(下向き矢印)


超ショック…


ここ何年も歯医者さんのお世話にはならずに済んでたのに。
最後に行ったのはいつだったか忘れるぐらい…



って、書いてて思い出したよひらめき


前回は、ハイチュ○食べてた時に取れたんだ!
あれは…温泉旅行へ行った時…そう娘2の中学卒業祝いってコトで…
(そんな時ぐらいしかそーいう類のお菓子は食べないのでね…苦笑)

ってコトは…あせあせ(飛び散る汗)


あー、明日は歯医者さんへ行って来なきゃ。
お盆休み終わったかなぁ…はぁー、凹むバッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)




1513.JPG




くすっ…て和める写真で…
気分は…
変らないかバッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)



posted by みみまま at 01:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月16日

あの日のコト。5

まだ続いておりましたあせあせ(飛び散る汗)




暗くなる中、急いでカセットコンロでお湯を沸かし、
たまたま買ってあったカップラーメン(ちょうど4つ!)で晩ご飯を済ませた。


冷え込みがどんどん厳しくなってくる。


我が家の暖房は、ガスファンヒーター。
ホットカーペットやコタツも停電ではアウト。

暖を取る手段なし(泣)


洋服を着込めるだけ着込んで…
リビングの真ん中に布団と毛布をかき集め、三人と二匹で包まった。


家が潰れる事を思えば、二階の方が安全なのかもしれないが、
揺れは二階の方が大きく感じるし、何より物の散乱の仕方が尋常ではなかったので
下のリビングで一緒に休む事にした。


母?
意識がもうどこか別の世界にいってしまったのかw
ちゃんとパジャマに着替えて、布団をいつも通りに敷いて…おやすみなさい。

唖然として、はい、おやすみ…としか言えず、好きにして貰う事にした。(薄情な娘w)



そうそう、使い捨てカイロ。
これが大量に買ってあったので…暖房のなかったこの夜から大活躍だった。

何故大量にあったかと言えば…
生協の共同購入で注文する→忘れて翌週また注文→繰り返すw

怪我の功名w
捨てずに溜めてて良かった。


同じパターンで、ちょうどこの2〜3週間前から、
ロングライフパンを注文してしまって…おかげでパンにも困らなかったっけw


その生協の配達もちょうど前日夕方。
まとめ買いの我が家の冷蔵庫は満タンだった。
(いつも買い過ぎと家族に言われるが…これが幸いしたのだ。)

寒い時期だったから、停電してもドアの開閉数を極力抑えれば
(冷凍庫すらも)何とか持ってくれたし。



あの時は寒くて辛い…と思ったけど、
今になって考えてみれば、
もし必然な地震だったならば…
あの時期でむしろ助かったのかな…とも思う。


今のような暑さの中の停電だったなら…もっと辛いのでは?


熱中症も怖いし、汗まみれでお風呂に入れないのもキツイ。
食べ物だって乾物以外はあっという間に腐っちゃう…よね。




話を戻そう…



寒さと余震の恐怖に、ただじっと耐えるしかない長い夜だった。


少しだけ入ってきた情報だと、
どうやら想像以上に大変な事が起きている?
被害が出るような津波が…本当に来た?


その被害の場所がよく分からなかったが、
該当しそうな地域に住んでいる友知人もいる…

大丈夫か?
安否が気になる…

また職場は?


三人で携帯を握り締め、あちこちへ連絡を試みる。


地震直後は繋がらなかった携帯だが、
夜は、ちょっとしたタイミングで繋がる事があった。


真夜中、義母の携帯に繋がった。


夫同様、一緒に住む義兄も仕事柄、家には戻れていないはず…
義母ひとりで大丈夫だろうか…

が、電話に出たのは叔母。
短い会話だけで切れてしまったが、
どうやら津波から逃れて、実家に避難、身を寄せていたらしい。
なら義母も心強いだろう…と、ひとまず安心した。


そして、職場。

私の会社では、電話が不通の災害時には、
NTTの災害伝言ダイヤルを連絡手段にすると言う事で、
毎月1日の体験利用には、訓練までしていた。

だから当然、繋がるものと思い、
落ち着いて171をダイヤルしたのだが…
これが簡単には繋がらなかったのだ。

それでも、何度か粘れば、吹き込まれたメッセージは聞けた。

こちらの安否も入れる約束になっていたのだが、
携帯からだと、只今被災地の方優先となっております…
とか何とかメッセージが流れ…受付けてもらえなかった。(auだから?w)

固定電話も不通のクセして、どうしろちゅーねん(怒)

思ったより使えない…171。
(ちなみに我が家では、NTTの固定電話が一番最後まで使えなかった。)



ほとんど眠れず過ごした夜…
静かだった。
時々襲ってくる揺れを除いては。




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2011年08月15日

お盆

夏休みも、お盆休みも、(日曜祭日すらも…)
基本、関係のない職場で働いているが、
珍しく今日、お盆の日曜日に休みが当たった〜るんるん


両方の父のお墓参りの途中、お昼ご飯。


えへへ…また牛タンぴかぴか(新しい)



1506.JPG



久しぶりの東山。
日曜だったけど、ランチ牛タン定食ってのがあった。(1,180円。)

前に来た時とややメニューが変ってる?
その時は、麦飯の美味しさに感動したんだけど…
(今日は別に普通だった気があせあせ(飛び散る汗)

牛タンは、先日の利久とはまた違って…歯ごたえのあるしっかりとしたお味。

これはこれで牛タンらしくていいグッド(上向き矢印)


日曜の昼下がり、冷えたビールビールと…う〜〜ん、堪らんexclamation
(今日もジリジリと暑かったもんね。)


家に戻ってからは、涼しい部屋でお昼寝。
(今日は、ちょっとだけ節電もお休み。ごめんなさい。)



まったり…
お盆と夏休みと日曜日の気分が全部味わえた不思議な感覚。
(本当は、単なる休日。)

でも、こんな些細な事に、
しみじみとした幸せを感じられた一日だった。



良いお正月でした…なんてよく言うけど、
今日の私は、良いお盆でした…って言うねw



posted by みみまま at 00:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月14日

あの日のコト。4

ラビちゅう、2歳の誕生日…
娘に言われるまで気がつかずあせあせ(飛び散る汗)

ごめんよ、愛しのラビちゅう。

お誕生日おめでとうぴかぴか(新しい)

この暑さで、ケーキは溶けて無理だし、
今日は仕事だから…お祝いは後日ね(おいおいっ!w)






電気は、たぶん揺れの最中に消えたと思う。(4/7の余震ではそうだったから。)
明るい時間だったので、その事で避難に支障が出る事はなかったが、
テレビからの情報が得られない。(携帯のワンセグは電池の減りが半端ない…)


ラジオがあったはずだが…探し出せない。


唯一見つけ出せたのが、小っちゃなライト付きのFMラジオ。
(しかも、イヤフォンでしか聞けないタイプ)


だから当初は、外へ何度か避難する度に、
近所の人が聞いた情報を…少しまた聞きする程度だった。


でも、実際目に見える範囲では、
火事や建物の倒壊もなかったし、
ケガ人もいなかったので、あんな酷い事になっているとは想像もつかなかった。


津波注意報(だか警報)…が出されたらしいとは聞いた。
仙台港で、(確か…)5〜6メートル…


地震と津波はセット…とは思っていたので、
注意報(だか警報)が出るのは分かる。
でも、それは大げさな数字…
まさかそこまで大きいのはないわー…と思っていた。


我が家は、海からは遠く離れている。
どちらかと言うと…山の上の方。
(海抜71メートル。by.マピオン)


なので、あんな想像を絶するような津波が襲って来ているとは夢にも思わず、
必死に情報を集める程、危機感もなく、
家の倒壊は恐れつつも、片付けと夜を迎える準備をしていた。



情報と言えば、
携帯の通話もほとんどすぐにアウト!だった。

固定電話も(帰宅後に)不通を確認。
回線がふたつあるのだが…
片方はIP電話なのでこれはもう停電したらダメだし。

メールも似たような状態だったが、
ネットにだけは、しばらくの間アクセスできたようだ。


私は携帯でネットはほとんどしないが、
今時の娘達にとっては当然の情報ツール…
彼女たちが集めたツイッター関係の情報は、なかなか役立った。


誰それがあそでパンが買えるとつぶやいてるとか、
同じく、どこそこのお店に何時間も並んでる最中だとか、
あるガソリンスタンドは整理券方式で営業しているだとか…ね。



ただ、充電が悩みのタネ。


先に書いたようにこの日の朝、お出かけのために満タンにした娘1の車。
(彼女のピカピカの新車wだけテレビも見れる…)
電気が点くまでは、これで充電をしながら、小さな画面を見つめていた。




話が戻るが…


3月はまだ日暮れが早い。
何度も避難しつつ危険そうな物を片付けただけで、
辺りが薄暗くなって来た。


ここで気づいて、
灯りになる物を探したのだけれど…


出てきたのは、普段から散歩に使っている懐中電灯(LED、明るめ)
キャンプに使っていたLEDランタン(小さいが明るい)
非常用のローソクと先に書いたFMラジオ付きの小さなライトだけ…
(仏壇があるので細いローソクはあるが、揺れたら火事が怖い。)




たったこれだけ。お粗末(泣)


1505.JPG




非常用ローソクとFMラジオ…は、
ずっと前に夫がもらって来た防災リュックに入っていたのだが、
このリュック…中身を見たら他に使えそうな物は、固形燃料ぐらい。
ちゃんと中身を確認しておかなかった事を後悔した。
(その固形燃料も結局、出番はなかったが)



ガスも当然出なくなっていたが、
鍋好きの我が家、カセットコンロとボンベは常備してある…調理はこれでOK。
(まだ鍋のシーズン中。ボンベは3本セットのが買い置きしてあった。)
また、キャンプ用のシングルバーナーもあった。(これもカセットボンベ使用)



さらにキャンプ道具を引っ張り出せば…
ガソリンランタンやツーバーナーなどもあるのだけれど、
(ホワイトガソリンの買い置きも少しあるとは思う)
夫不在の中使用するのは怖くて…使わなかった。



posted by みみまま at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月11日

あの日のコト。3

今日で5ヶ月。


あの日、珍しく娘達と共に行動していた事。
あの時間、津波被害の酷かった出先から
すでに自宅近くとへ戻って来ていた事。
私は、避難が容易だった場所にいた事。
娘達もかろうじてだったが、ケガなく避難できた事。

どれもほんの紙一重…

たまたま運が良かっただけ?
誰かが導いてくれた?

分からないけど…有難い。


地震が起きた後、すぐ帰宅し、ワンコと母の無事も確認できた。
夫とは、避難した直後に連絡が取れていたので、こちらの心配もなかった。

夜を迎えるまで、準備をする時間もあった。

余震が絶え間なかったので、恐ろしく長い夜で…
寒さが厳しく辛かったけれど…
それでも自宅で、娘達と一緒だったのは…やはり、とても幸運だったと思う。


もうあんな地震災害は来て欲しくはないけれど、
まだ余震の心配や他の地域での別の地震の予測などもあるようだし、
今度こそ教訓やら経験を生かせるよう…もう少し書いておきたい。


前回の宮城県沖地震の経験は、あまり生かせなかった気がするから。
恐怖だけはしっかりと覚えていたんだけど(汗)

(でも、今回の揺れを経験した後では…
 あの時の揺れは大した事なかったレベルに格下げかな。)





避難後、少しして、娘1がいち早く冷静になった。
家にいるワンコと母の事を思い出したのだ。

この時、周りはまだ興奮していて、
その場に留まっている人が多かった。


すぐ戻ろう!


あれだけの人が、我に返って一斉に動き出したら…

駐車場から出るだけで一苦労だったろう。
(付近の信号もすでに消えていたし)


おかげで、渋滞が始まるに脱出。あっさり帰宅できた。
(おそらく15時頃。)


家の室内は、軽い棚などは倒れていたが、
大きな家具自体の転倒はなく、
中身のみが飛び出して落ちている感じだった。

と、言ってもその数が半端ないので、
足の踏み場がない位なのだが…
特に2階が酷かった。(クローゼットのドアが外れてたっけ。)

でも、壊れた物は少なかった。
食器などもほんの数個(その後の4/7の余震で軒並み割れてしまったが)

ワンコの大好きなオヤツも散乱していて…

食べ放題♪状態だったハズなのに、手をつけた様子はなかった。
(やっぱワンコもそれどころではなかったんだねw)

その瞬間、ワンコたちが、どこでどうしていたのか…
本人(犬)聞いても分からなかったがw
(母は自分のコトで精一杯)

ふたりとも、とにかく無事で良かった。

王子は、もともと地震が怖いので、
いつもちゃんとテーブルの下に避難するけど…
ラビちゅう(←最近こう呼ばれている)は、
よく下敷きにならずに逃げてくれたと思う。



とにかく居場所の確保…と、片付けに着手した。

娘1は、水を汲み出した。

というのも、たまたま数日前に宮城県沖地震の時の話をしていた。

あの時は、じーちゃん(父)がすぐ帰宅して、
水をいっぱい汲み置きしてくれたから水だけは困らなかった。
ガスはしばらく不通になってしまったので、
お風呂には入れず辛かったけど…っていうような…経験談。

それが頭に残っていたようで…

お風呂をキレイ洗って、満タンにし、
ありったけの鍋類にまで入れた。

実は、私はまず片付け…しか頭に浮かばなかったので、
これには助けられた。

おかげで数日は水の心配をせずに済んだのだ。



しかし、その間も何度も余震が襲っていた。


家の倒壊が怖かったので、
その度に作業を中断して外へと逃げた。

ワンコたちは、
常にリードをつけた状態にして、揺れ始めたら非難。



が、追い討ちをかけるように雪が激しく降りだして…


足元が汚れる…
家に入る度に拭くのは大変(繰り返し何度もだったから)…

仕舞いには抱っこで避難…となったのだけど、
我が家のワンコたち、只今、8キロちょい(×2)
長く抱いているのは辛いモノがある。

おまけに、
近所の人たちももちろん同じく揺れの度の外へと集まる訳で、
吠えてウルサイ(泣)
(特にお向かいのおじさんにw)

おばかワンコで…困った、実は。

避難所なんて到底つれて入れないよね、これじゃ。
幸い避難所へは行かずに済んだけど…


後で知ったが、この日の夜、
近所の小学校へと避難して過ごした人たちも…それなりにいたらしい。

うちは、家が潰れないことを祈りつつ、
揺れの度に不安になりながら、家のリビングで身を寄せ合っていたし、
ごく近所では、車の中や離れのプレハブで過ごしたり…
避難所へ行こうと言う発想はなかった。


posted by みみまま at 03:10| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月10日

あの日のコト。2

書き始めたら止まらないw
で、昨日は途中でUPあせあせ(飛び散る汗)

また今日もキリの良さそうな所まで…。




この日、私にはもうひとつ…
退職する先輩に贈る記念品を買う…という予定があった。
近所のショッピングモールで買う予定と娘たちには話してあった。

が、疲れて真っ直ぐ帰って来た事だし、一旦家に戻ってから自分の車で…
と考えつつ娘の車に乗っていた。

しかし、そのICを降りた途端、このまま寄って行くと娘が言い出した。

ICからそこまではものの5分程。
だから、時計は見ていないが着いたのは14時半頃だろう。


散歩の時間も気になっていたので、真っ直ぐ決めていたお店へ。
出入り口近くの瀬戸物屋さん。

そう広くない店内を見回ったが、どうもピンと来る物がない。
予算との兼ね合いもあるし…
一人では決めかねて同僚に電話をする事にした。


電話で状況を説明しながら話していると…
相手が「あっ、地震!」
立っていた私はすぐには気づかなかったが、
慌てて「一旦切るね。」


通話を中断して、周りを伺いつつお店を離れた。
揺れを感じるようになってきた。


娘達は?
見回すがいない…


次第に大きくなりつつある揺れ…
周囲の人も気づき始める。


歩みを出口に向けつつ娘達を待つが来ない。


増してくる揺れ。
外へと避難しようとする人が増えて来た。

私もその流れと一緒に外へ出た。

が、娘達が…

と、思っていたら揺れが激しくなって来て、立っていられない。
地面にへたり込みながら不安な気持ちで出口を見つめる。


長い揺れ…早く治まって…
ついに宮城県沖地震が来たのか…
あー、おとといの地震はやっぱり前震だった…


駐車場の方でガッタン、ガッタン…
まるで工事現場のような物凄い音がしている。


何も出来ずただへたり込む。


やや揺れが引いて来た時、
お店の人が建物からもっと離れて下さいと叫んだ。

娘達はまだ中…
自分だけ安全な場所には行けない…

でも、お店の人の必死な呼びかけ。
立ちあがり数歩移動した所で、再び揺れが激しくなった。


また立っていられない程。
いや、さっきより強くなっている。

駐車場の立てる音もさっきより大きい…。


強くて、長い、長ーい揺れ。
早く収まって。
もうここまでで終わって!
これ以上大きくならないでっーと祈るしかなかった。


それにしても娘達…
あー、どうしよう…と思った時、
ようやく店内から飛び出して来るのが目に入った。
揺れはもうほとんど収まりかけていた頃だった。


無事だった…。
安堵して立ち上がったが、足の震えが止まらなかった。



posted by みみまま at 03:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月09日

あの日のコト。1

あの日からもうすぐ5ヶ月…

何度も書こうと思いながらも
いざ白紙のページを開くと指が動かず…
ページを閉じて…を繰り返したんだけど、やっぱり書いておこうと思う。


記憶が曖昧にならないうちに…

見返す事が出来ずにそのままになっていた走り書きノートも開いて…




あの日は、娘達と珍しく休みが重なり、
娘1がずっと前から行きたがっていた場所へと行く約束になっていた。

10時出発と前日に決めてあった。


普段なら誰か寝坊をしたりで、
予定時間通りに出発なんて有り得ない(苦笑)のだが、あの日は違った。


給油をして娘1の運転する車で東部道路に乗り、一路亘理まで…


が、降り口を間違いひとつ先の山元ICまで来てしまった。
ナビの案内に従い目的の荒浜漁港へと戻る。


そう、ここの目の前にあるお寿司屋さん。
私がほっき飯を食べた話をして以来、ずっと来たがっていたのだ。




1499.JPG




平日だったせいか、以前に来た時とは違ってお店は混んではいなかった。
美味しいほっき飯に感激し、
わざわざ来た甲斐があったと大満足でお店を出たのが13時少し前。


以前来た時、近くの「わたり温泉鳥の海」の脇に松林が見えていたから
あの向こうは海のハズ…寄って行こうと車で移動。


この前々日に大きな地震があったばかりだったから、
今ここでまた地震が起きたら津波ヤバイよね…
なんて…冗談で言ったのに…




1498.JPG




ほとんど人気はなかった砂浜だったが、
散歩をしてたおじいさんと人懐っこいワンコに会った。


ここが荒浜海水浴場だと後で知った。


写真は、阿武隈川河口方向だが、
振返えった鳥の海の湾口の方向には釣り人が何人かいた。



海の風は寒くて…

そう長居出来ずに車に戻り、時計を見たら13時半を少し過ぎた所だった。



すっかり身体が冷えてしまって、
帰りにはエアリ寄ろうか、空港の展望台で飛行機を見ようか…
なんて来る時には話して来たのに…その気が失せてしまった。

真っ直ぐ帰ることにしよう。

急ぐ帰りでもなかったハズなのに、娘1@運転手のとったルートは帰りも同じ。
結局、自宅近くのICに着いた時には、あそこからまだ一時間も経過していなかった。





posted by みみまま at 03:17| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月08日

また…orz

日付が変わってしまったけど…


今日(8/7)の昼間、また彩雲が出ているのを目撃たらーっ(汗)




1504.JPG




前回(7/24昼…ほぼ同時刻。)より薄かったけど…

あの時は、
翌25日0:07宮城沖M5.2
4:01福島沖M6.2…と続いたっけ。

特に明け方の福島沖のは震度5弱。
うちの辺りも震度4の揺れで…大きいのもあったけど、嫌〜な揺れ方だった。


単なる偶然であるコトを祈るよあせあせ(飛び散る汗)




1503.JPG




同じ時刻に撮った写真。
海の方向から手を広げたように伸びてくる雲…その先がうろこ状?あばら状?


あー、ヤな感じバッド(下向き矢印)



posted by みみまま at 00:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月07日

夏祭り

仙台七夕、開幕したね。
初日はお天気で良かった。

沢山の人に来てもらって…少しでも復興に弾みがつくといいなグッド(上向き矢印)



さて、またささやかな…話になるけど、
私の町内会でも恒例の夏祭りが開催された。

あんな大震災の後だから中止かと思ったが、
例年より時間をやや短縮して開かれた。



ちっちゃな町内会のお祭りだけど…、
子供達が大きくなってからは、目の前の公園で開かれていると言うのに
まともに行ってみるコトもなくなってしまっていたけど…
(2〜3年前に役員で開催側にはなったけどあせあせ(飛び散る汗)

やっぱ、いつも通り(に近い形…ね)に行われたってコトが何だか嬉しいw


町内の子供達は楽しみにしてるもんね。





1502.JPG





で、ちょうど休みだったし、娘2もいたので数年ぶりに覗きに行ってきた。


暑かったので、出店に並んで食べ物ゲットした後は、
そそくさ家に戻って来ちゃったけどさw


でも、雰囲気はしっかり味わって…
ふたりお祭り気分で楽しい夕方だったかも〜るんるん


posted by みみまま at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月03日

ささやかな楽しみ

今夜は不気味に静か…と思いながら記事を書こうとした矢先のアラームバッド(下向き矢印)

心臓に悪い…と感じつつも、
最近は、PC立ち上げている間は開きっぱなしにせずはいなられないのよ…強震モニタ。

昨夜なんて開いた時にちょうど静岡の地震だったし。
パーッと色のついた点が広がって行く有様は鳥肌物の恐怖…なんだけどねたらーっ(汗)


相変わらず治まる気配が感じられないのに…


でも、地震の話(や雲の話)は、
家族(娘たち)ですらも(ってか、他人様には話してないけど…)
またぁ?と呆れ顔なので、最近は極力言わないようにしてるんだけどさバッド(下向き矢印)




こうして書いている間にも、パタパタと揺れ…アラームが…あせあせ(飛び散る汗)




まぁ実際は、怯えてばかりもいられないので、
普通に生活、仕事もしてる訳で、
休みの日にはランチを楽しむのが只今唯一の息抜き&楽しみなんだ揺れるハート
(遠出をする気分にはなれないし…ね。)



先週は、用事があってすんごい久しぶりに長町方面へと出掛けた。
(すっかり街の様子が変わったなぁ…とシミジミw)

浦島太郎状態で、どんなお店があるのかも分からないので…




1500.JPG




分かり易い所で、利久の牛タン。(富沢店)



震災後、牛タン食べたの初だったな。
久しぶりで旨かったるんるん

過去最高に美味しく感じられたかも。(心理的なモノ?w)
厚かったけど、柔らか〜だったし。

あー、写真を見たらまたすぐにでも食べたくなったexclamation





1501.JPG




こちらは、近所の珈琲館。

ホットサンドも自分じゃメンドーで…滅多に作らないからたまに食べたくなる。
(ハンバーガー食べるより高いから行く機会少ないけどねw)





こーんな写真撮って、
記事書こうって気分になれてきた感じだな…ようやくグッド(上向き矢印)



posted by みみまま at 02:49| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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