通勤で通る会社近くの裏通り。
日に日に視界が開けて行く。
全壊で取り壊しになってしまった家やアパート。
やっと順番が回って来たのだ。
車でわーっと通り過ぎるだけだと気づかないけど、
昨日は建物があったハズの場所…今日通ると更地になっていて驚く。
震災から5ヶ月半たった今もまだ現在進行形…なのだ。
我が家の補修の見積もりもやっと明日届く。
見積もりだけで、何ヶ月待ったコトやら

そして、一体幾ら掛かるのやら

3/15(5日目)
TVやツイッター情報などで買い物のために、
寒い中何時間も並ぶ必要がある事は分かっていた。
うちは、灯油の残量は心細いが、食料は節約すれば、まだまだイケル。
当初、一週間…と思ったけど、今の状況ではどこまでなのか見当もつかない。
ここは、無理して動くより体力温存。
頑張れる所まで節約して乗り切ろうと決めた。
うちだけでも買い物に行かなければ、
その分少しだが、もっと困っている人に回るだろうし。
生協の配達直後だったのは、本当にラッキーだった。
ガソリンも娘1のは、ほぼ満タン。
私と娘2の車も給油後日が浅く、3/4は残っていた。
水はさすがに汲みにいかなければならない。
が、給水所では並ぶ必要も制限もある。
実家ならそれがない。顔を見て安心もできる…
片道20分のガソリンを使っても、しばらくはそうしようと決めた。
他にも幸運だったのは、ワンコごはん。
いつもネットで8キロ入りのフードを切れそうになるギリギリで買うのだが、
これが震災の2〜3日前に着いたばかりだった。
同じくトリミングにも行ったばかりだった。
今思う事。
起こったのは最悪の事だったけど、
タイミング的には、一番いいタイミング…助けてもらったのかなぁ…(誰に?w)
3/16(6日目)
午前中、雪が降り寒い。
灯油節約のため電気毛布に包まる。
午後になり雪も止んだので娘たちは実家へ水汲み。
3/17(7日目)
体力温存。家で片付けに励む。
電気が来てから本格的に着手していた片付け。だいぶ進んできた。
ネットが復旧。
嬉しい…が、何故だか…PCの前に長く座っている気分にはなれず。
3/18(8日目)
娘1がまた友人の所へ。
頼んだあった救援物資(紙オムツなど)が入手できたので受け取りに行き、
津波被害に遭って避難所にいる別の友人たちへと届けるのだそうだ。
おにぎりも届けたいというので…
我が家の釜で炊けるだけのご飯をおにぎりにした。
実は、二日前にもおにぎりを握って届けようとしたのだが、
その時は、また津波警報が出てしまって(結局来なかったのだが)
友人から危ないから来ないで、と言われ届けることが出来なかった。
今回は、無事届ける事ができたようで良かった。
一緒に、暖かいみそ汁が飲めるようにとお湯を入れたポットを託した。
ほんの気休め程度の事しか出来ず申し訳ないが…
普段ならほんの20〜30分の距離の場所で、避難している人たち。
津波に襲われた家、いつ戻れるのか…
いや、戻る家自体が残っていないかもしれない。
家族がみな無事ならまだ良いが…
(娘の友人も結局…)
キツイ一週間を過ごして、まだ先もどうなるか分からないが、
私はかなり恵まれている方だ。弱音を吐いては罰が当たる…
3/19(9日目)
朝、夫の叔母から電話があった。
叔母宅も水が出るようになり、ガスはプロパンなので、
昨日、義母にシャワーを使わせてくれたそうだ。
その時に、我が家がまだ断水している事を知ったので、
今日、水を汲みながらシャワーを使うように…と誘ってくれたのだ。
ガスの残量が心配だから…届くまではシャワーだけどね、と。
有難く、言葉に甘え…午後から向かった。
(うちの母も…と言ってくれたが、流石にそれは遠慮した。)
震災以来のシャワー。
身体の方はまだ耐えられたが、頭(髪の毛)が限界だった。
開いている美容院情報を聞いたので、
シャンプーをしてもらいに…並ぶの覚悟で行こうとしていたのだ、実は、今日。
シャンプーばかりか身体も洗えるとは。
思ってもいなかった救いの手にホント感謝。
水ばかりか、灯油も1缶。
さらには、ティッシュまで…もらって帰って来た。
あの日の夜中、繋がった義母の携帯に出た閖上の叔母(この叔母の妹)が
ここに叔父とふたりで避難していた。
買い物に出ていた先で地震に遭った。
そこ(亘理)も津波が来た場所だが…
買い物は済んで車で出ようとした時だったため、急いで海と反対の方へ逃げた。
6号線から4号線バイパスへ出て、自宅の方へ戻ろうしたが、
すでに津波が来ているという事で戻れなかった。
そのまま渋滞するバイパスを走り、
何時間もかかってようやく夫の実家へと辿り着いた。
そして、あの夜の通話…。
その後、家へは行った。
家はあったが、1階の天井まで津波が来ていた。
叔母の物は、すべて下にあったため、着物も宝石も…全部ダメになった。
2階あった叔父の服とたまたま干してあった僅かな着替えだけ取って来た。
何にもなくなってしまった…と涙ぐみながら話す叔母。
化粧もできない、化粧品、買ったばかりだったのにって…。
ふたりが助かっただけ良かったよ…と慰めるのが精一杯だった。
この日の夜、震災以来、初めて2階のベッドで休んだ。
もちろん、服は来たままだったが…。
3/20(10日目)
近所のパン屋さんが開いてる情報入手。
あまり並ばずにパンゲット!
ロングライフパン(プレーンなクロワッサン)は食べてきたが、
久々の焼きたてパンの美味しさに感激w
3/21(11日目)
母が近所のスーパーでやや並んで、野菜と惣菜を少しゲットして来た。
メンチカツと春巻きに肉だんご…お弁当に入ってるような惣菜。
娘2が友人宅で水を汲んできてくれた。
3/22(12日目)
妹の家の断水が解消。
水を汲むのはもちろん、洗濯をさせてもらいに行く。
服は毎日取り替えて…なんてしていなかったが、
さすがにここまで日にちが経つと洗濯物の山。
とりあえず下着類だけでも洗濯できれば助かる。
そして、母は、震災以来お風呂はおろかシャワーも浴びていなかったので、
ガスの復旧はまだだが、何とかお湯を大量に沸かしてもらい洗髪だけでも…と頼んだ。
姪達に手助けしてもらいシャンプー。
ここまで、よく我慢したよね、母も。(さすが戦争経験者w)
その間に、近くのスーパーへ行く。
5分ほど並んで買い物が出来た。大量の野菜が手に入って嬉しい。
お刺身も卵も買えた。(お肉はイマイチだったが…)
震災以来初と言っていいまともな買出し。
ここまである材料をやり繰りして、4人分の食事作り…私も頑張って乗り切ったよw
近所の小学校の方へと犬の散歩で行った娘たちが、
給水に人が並んでいる気配はないと言うので、初めてもらいに行った。
制限も特にないようだったが、
重くて…一度に大量には運べず、結局汲める量が限られる。
妹の所で汲んで来たばかりだから良いけど…
3/23(13日目)
娘2が、今回の地震に遭遇したあのショッピングモールで買い物をして来た。
(カップラーメンやカセットコンロのガス)
行列はなかったようだが、一人当たり買える品数を制限していたそうだ。
3/24(14日目)
灯油の巡回販売車が来てようやく灯油が買えた。
叔母からもらった灯油で凌いできたがこれで一安心。
(しかし、一缶、2,000円近くして…ビックリ。)
小学校へ水を汲みに行く。

この時、震災以来初めて…そういった写真を撮る事に気がついた。
普段は、何かにつけ写真を撮っている私なのに、すっかり忘れていた。
(ちなみに…毎晩欠かさないアルコールも暫く飲む事すら思いつかなかったのだw)
物も手に入るようになってきて、少し余裕が出たのだろうか…

彦根市…ひこにゃんで名前は知っているけど滋賀県にあるんだね。
遠くから給水に来てくれてありがとう。
自衛隊のお兄さんたちも…ありがとう。

娘1が、水と一緒に缶詰1個、もらったよって。
(しかも、たくあんの缶詰って…)
自衛隊のお兄さん…おばちゃんもそっちから汲んだのに…
若い女のコにしかくれないとは(爆)
うちでもらった唯一の救援物資だね。
夜、夫が職場近くのショッピングセンターで買ったと、
大量のカップ麺とお菓子を持って帰って来た。